いつから、
なにをはじめよう?
― 音楽との接点について ―
何かを始めるのに、最適な年齢はあるのでしょうか。幼い頃から音楽だけに打ち込んできたわけではない作曲家が、自分の中に残った「楽しい」の記憶から、その問いを考えます。
「いつも音楽に囲まれていた」わけではない
…そもそも、自分が3歳、4歳、5歳などの未就学児~小学校あたりまでについて思い起こしてみると、もちろん明確に全てを覚えてはいないんですけど『いつも音楽に囲まれていた!』なんてことはぜーーんぜんないんですよね。
確かに歌をはじめとして、音楽は好きだったんです。小学校の音楽の授業で習う、リコーダーとか合唱とか。聞くのも吹くのも歌うのも、どちらも楽しかったし好きだった。
でもピアノを習い始めたのは小学三年生からだし、そのピアノも途中からはサッカーに夢中で、あんまり練習していなかったし。
レッスンを忘れたふりして、家にいた頃
六年生の頃にはもう飽きちゃってて、
「やだ、今日ピアノのレッスンの日だったじゃない!また忘れて、もう…。時間も過ぎちゃってるから、先生にお詫びの電話だけして、今日はお休みだね…」
って母に言われるの『待ち』で、忘れている振りしてわざとお家にいる & 母が気がついた時に『あ!ほんとだ忘れてた、ごめんなさい…』をいかに自然に演じるか、を考えてたくらいだし…。
そして父の転勤での引っ越しを機に、中学生に入る時には習うのも弾くのもやめちゃった。
幼少期から音楽一筋だったわけでも、努力を途切れさせず積み重ねてきたわけでもありません。
…そう考えると、そんな自分が今は音楽を仕事として、作曲や演奏はもちろん、人に教えたり、さらには幼児期の音楽教育のプログラムにも関わっている。なぜそうなったんだろう、と自分でも思います。
幼少期の頃から音楽に触れていたわけでもなく、またずっと情熱をもって継続していたわけでもない。
それでも、はっきり覚えている「楽しい」
それでも、振り返ったときにはっきり覚えているのは、ピアノを習い始めた頃の気持ちです。
ピアノを弾くのが楽しくて、スポーツかゲームかパズルか遊びかのように、発表会で弾く予定の曲がすっかり弾けるようになったあとは、目を瞑って全部弾けるかな?と練習してみたり、本当に苦もなく、面白いなぁ!と感じていました。
練習しているというより、遊んでいる。上達しなければと考えるより、もっと試してみたいと思っている。そんな「楽しい」が、確かにありました。
高校生の和声学でも、同じ感覚に出会った
これは作曲の勉強をするべく、初めて和音の理論である『和声学』を勉強し始めた高校生のときにも同じよう気持ちだったように思います。
サボってて良い授業中にこっそり和声の課題を解いてるくらいには楽しかった(そんなものは無い)(古文とか…(小さい声で))。
ピアノをゲームやパズルのように楽しんだ感覚と、和声の規則を解いていく面白さ。その二つは、時間を隔てながらも、同じところでつながっていたのかもしれません。
英才教育でも、毎日の継続でもなかった
そう考えると、今の自分があるのは、英才教育を受けたからでも、毎日練習を続けたからでもない。
ただ、あの時期に「楽しい」と感じるものが、確かに自分の中にあったからじゃないかと思います。そしてそれに出会うこと、見つけることができた。
何歳から始めたか、どれだけ長く続けたか。それだけでは説明できないものが、人の中には残っていくのかもしれません。
「いつから、なにを始めればいいか」
「いつから、なにを始めればいいか」という問いに、僕は明確な答えを持っていません。
ただ、これから何回かに分けて、そのあたりのことを書いていこうと思います。
「楽しい」と感じて続ける時期と、「つまらない」と感じて離れる時期。そのどちらが、後の人生でどのようにつながっていくのか。次回は、ピアノを辞めた頃の記憶から考えます。
