『バレエの力』三木まりあ先生(バレエ安全指導者資格修了講師コラム)

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バレエジャポン®︎よりメッセージ

バレエ安全指導者資格®︎コースを修了された先生方によるコラムシリーズに、新たに広島県廿日市市で「マティスバレエ」を主宰されている三木まりあ先生をお迎えいたしました。

三木先生は、中学生の頃に「急性混合性白血病」という大病を患い、長期の闘病生活を経験されました。しかし、その困難を乗り越えて再び舞台に立ち、現在はバレエ指導者としてもご活躍されています。

「バレエは私にとって生きる力」と語られる三木先生。

バレエを学ぶ皆さん、また指導に携わる先生方にとっても、三木先生のお話は“バレエの力”を改めて感じるきっかけとなるはずです。どうぞこれからのコラムを楽しみにしていただければ幸いです。

三木先生、どうぞよろしくお願いいたします。

バレエの力

3歳の頃、私にとってバレエは習い事のひとつに過ぎませんでした。ピアノや英語と同じように、ただ「楽しいから通っている場所」。当時の私は、まさかそのバレエが人生の大きな支えになるとは夢にも思っていませんでした。

発表会でかわいい衣装を着られることが嬉しくて、少し大きくなれば練習したらどんどん上達するという達成感に夢中になりました。気づけばバレエは私の生活の中心になっていき、中学二年生の私はバレリーナを夢見て、毎日5,6時間練習に励みました。数週間後には国際コンクールも控えていました。

夏が終わりだんだんと涼しげな秋の風が吹くようになったころです。突然視界が半分ほど黒くなり、殴られたような酷い頭痛や目眩といった症状に襲われました。大概少し休んだら治るので酷い偏頭痛や貧血だと思っていました。
そのような症状が何日か続いていましたが、ある日の朝、座っていられないほどの腰の痛みを感じ、病院を受診しました。そこからすぐに大きな病院に紹介され、いくつもの検査が始まりました。
期末テストも近く、私は「2、3日で帰れるだろう」と呑気に理科の教科書を持ち込んでいたのですが、そこで言われたのは、「これから約1年入院しなければならない」という言葉でした。

当時、両親の希望で私には伝えられていませんでしたが、私は「急性混合性白血病」という病気でした。

子どもの頃から夢中になってきたバレエ。
それまで、バレエ漬けの生活を送っており、留学という将来がかかっているコンクールを控えていた私にとって、1日でもバレエを休むことが悲しくて、悔しくて毎日毎日泣きました。病院の先生や両親に当たってしまったこともありました。そんなぐちゃぐちゃな気持ちを、医師や看護師、家族は毎日のように聞いてくれました。

「絶対また踊れるようになるよ」「色々なことを経験して、色々な感情を持ったまりあちゃんは病気になる前よりもずっとずっといい踊りが踊れるようになるから」「次に舞台に立つ時は、絶対見に行くから招待してね」などと言ってくれたことがどれほど私の励みになったことか、計り知れません。
その中でも主治医の先生が「あなたが何年休もうがあなたから出るオーラや魅力は変わらないよ」とおっしゃってくださったことでとても救われました。私はわたしのまま、変わらないんだと思うと、いくらか安心できたのです。
このような支えがあったからこそ、絶対にまた舞台で踊りたいという強い意志を持ち、闘病を続けることができました。鏡代わりの窓に向かって、点滴台をバー代わりにして、1人でバレエのレッスンをしながら、闘病生活を乗り越えて再び舞台に立つことができたら、きっと同じような病気の子供たちの希望になる。と、自分自身を勇気づけていました。

移植後約4か月でバレエ復帰を果たしたのですが、当たり前に筋力も落ちていて、はじめのうちは何をするにも体が重たく、手足が自分のものじゃないような、バラバラなような感じがしました。なんだか、全然できない自分が情けなくて、恥ずかしくて、悔しかったのをよくおぼえています。ですが、ブランクを感じて悲しいと思う反面、あんなに辛い闘病生活を乗り越えてきたんだ、出来る、ここからまたやり直せる、みんなに追いつく、追い抜きたいという前向きな気持ちがとても大きかったです。 その時、髪の毛は生えたてほやほやで薄ら後ろで結べるか結べないかというくらいでした。色々と試行錯誤し、一つ結びに付け髪をつけてネットでお団子にまとめることにしました。また、前髪も短く落ちてきてしまうため、髪色に近いターバンをつけ、白髪隠し用の黒いスプレーを吹きかけました。周りは無理だと言ったけれど、絶対できる、絶対やってみせるという意地で髪の毛をまとめ、舞台に立ちました。

バレエとは、私にとって「生きる力」です。
バレエがあったから、病気が治ったといっても過言ではありません。

もちろん、すべての人にとってバレエが答えではありません。けれど「自分の好きなものがある」ということは、誰にとっても大きな力になると思います。私にとってそれがバレエだったように、音楽や絵、本やスポーツ、どんなことであっても心がときめくものは、人生を支えるエネルギーになります。

芸術は形のないものですが、確かに人の心を支え、日常を豊かに変えてくれるものです。バレエを通して出会った仲間や先生方とのつながりもまた、私を支えてくれました。ひとりでは乗り越えられなかった苦しみも、「好き」を共有できる仲間がいたから続けられたのだと思います。

だからこそ、私はこれからも子どもたちや大人の方々に「自分の好き」を大切にしてほしいと願っています。それがバレエであっても、そうでなくても構いません。好きなものを持つことで、人はどんな困難にも立ち向かえるし、世界が広がっていくからです。

バレエの力とは、私にとって「生きる力」であり、「希望」そのものです。これからもその力を信じて、舞台の上でも、日常の中でも、精一杯大切にしていきたいと思います。

三木 まりあ

編集部より

今回のコラムで、三木先生のご体験を拝読し、あらためて「好きなものが人を生かす力になる」ということを強く感じました。
幼い頃から当たり前のように続けてきたバレエが、思いもよらない困難の中で「生きる力」へと変わっていく過程は、言葉にできないほどの重みと希望に満ちていました。

病気の告知、長い入院生活、舞台から離れざるを得ない時間。そのどれもが決して容易なものではなかったと思います。けれども、点滴台をバーに見立ててレッスンを続けた姿や、復帰後に一つ結びの髪を工夫して舞台に立たれたエピソードは、ただの努力や根性ではなく「好きだからこそできること」の象徴だと感じます。

また、ご家族や医療者の言葉が大きな支えとなり、本人の「踊りたい」という強い意志を後押ししていたことも、心に深く響きました。バレエはもちろん、音楽や芸術、スポーツなど、人が心から大切に思えるものがあることは、どんな困難を前にしても再び立ち上がる力を与えてくれるのだと、改めて実感させられます。

今回のコラムを通じて、多くの子どもや大人にとって「好きなことを大切にする意味」を教えてくれる、大きなメッセージをいただき感謝しております。事務局としても、こうした物語に触れるたびに、私たちが目指す「安全に、そして安心してバレエを続けられる環境づくり」の意義を再確認いたします。

これからも「好き」を支える力となれるよう、皆さまと共に歩んでまいりたいと思います。

三木まりあ先生プロフィール

廿日市市阿品台出身。 
3歳から廿日市市の公民館でバレエを始め、小学5年生から本格的にクラッシックバレエを習う。 中学2年生の時、初めてエントリーした国際コンクールを目前に、白血病を発症。 バレエ一色だった生活が奪われ一時は自暴自棄に陥ってしまうも「絶対また舞台に立つ」と、気持ちを立て直し、体調が良い日は、病室でも地道にストレッチやバーレッスンを欠かさず続け、闘病中もバレエを諦めることはしなかった。 必ずまたバレエを踊れるようになって、自分らしく表現し、生きる喜びや幸せを伝えたいという想いを胸に病気と闘い、病気を克服。自身の経験から世の中の役にたちたいと、バレエを続ける傍ら大学の看護学部に四年間通い、看護士国家資格も取得した。 

 -主な経歴・資格-
 YAGP NYファイナル 団体 TOP12 
「バレエの夕べ」やオペラなどでダンサーとして出演 

2019年 MISS SAKE HIROSIMA 
ベビーマッサージ認定講師 
看護師国家資格 
日本骨髄バンクユースアンバサダー 

 2022年 
全国MIEバレエコンペティション 島崎徹 審査委員長 特別賞 
YBC in京都 大人部門 優秀賞 
山口国際ダンスコンペティション クラシックD部門 第1位

2024年
ヴィクトワールプレバレエコンクール 優秀指導者賞

【Mathys Ballet】
https://mathys-ballet.com

三木先生へのご質問、ご感想等はこちらよりどうぞ!
contact@ballet-japon.com

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