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新国立劇場バレエ団プリンシパル 米沢唯さん
緊張を乗り越えるためには、とにかく練習あるのみ
国内外の数々のコンクールで入賞し、プロとしてのキャリアをアメリカでスタートさせた米沢唯さん。2010年に新国立劇場バレエ団にソリストとして入団すると、翌年には早くも主役に抜擢されました。その後も着実にキャリアを重ね、初演には群舞として出演した『ペンギン・カフェ』で、今年は主要な役どころを踊ります。バレエを始めた頃のことから、コンクールの思い出、プロとしての決意まで、たっぷりと話していただきました。
――そんなに小さな頃から理論的なアプローチをなさってたんですね。
高校生のとき、もう一つ転機があって。私は小さい頃から目が悪くて、レッスン中はメガネをかけられないので、ずっと踊っている自分の姿が見えていなかったんですね。それがあるときコンタクトレンズを入れたら、自分の体の汚さに愕然として(笑)。筋肉の改造に目覚めたというか、自分の体の嫌なところを直すには、例えば外腿じゃなく内腿に筋肉をつけるにはどうしたらいいのか、また考えるようになったんです。
完全に自己流なので、その後プロになってから習ったこととは全然違ったりするんですが(笑)、この筋肉を使おうと思ったときにパッとそこを動かせる感覚をつかんだことは、今でも役立っていますね。

コンクールで入賞し始めた小学校6年生の頃、発表会にて。
――踊ることがとにかく楽しかったということは、コンクールでも緊張はしないタイプだったのでしょうか。
いや、めちゃめちゃ緊張します! じんましんが出たりお腹が痛くなったりするくらい。乗り越えるためには自信をつけるしかないので、とにかく練習あるのみと思って頑張っていましたが、コンクールはもう二度と出たくないですね(笑)。
それでも出続けていたのは、小さい頃は舞台経験を積むためで、賞をいただくようになってからは少しでも上を目指すため。高校生くらいからは、就職活動の一環だとも思っていました。調べればほかにも方法はあったのでしょうが、海外のバレエ団に入るには海外のコンクールでチャンスをつかむしかない!と思い込んでたんです(笑)。ラッキーにも願い通り、ジャクソンのコンクールでサンノゼ・バレエ団の芸術監督に声をかけていただくことができました。
――サンノゼ・バレエ団での4年間はどんな日々でしたか?
初めての一人暮らし、初めての海外生活で、それまで自分がどれだけいろいろな方のサポートの中で踊っていたのかを思い知りました。最初の日なんて、真っ暗な部屋でライターの火を頼りに過ごしたんですよ(笑)。お金を払わないと電気も水道もこないってことすら知らなかったんです。
食事も、それまでは座っていれば母が用意してくれていたけれど、自分でなんとかしないといけない。訳が分からず適当に食べていたら太ったりやせたりを繰り返してしまったので、それからはちゃんと作るようになりました。
- 1:小学校1年生でトウシューズをはいてコンクールに
- 2:緊張を乗り越えるためには、とにかく練習あるのみ
- 3:プロには向いていない、と感じたサンノゼ時代
- 4:全幕で踊っていると、舞台の上で気持ちが動く