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インタビュー

チャイコフスキー記念 東京バレエ団 特別団員 小出領子さん

小出領子さん
バレエスクール公演の時の楽屋の様子

――オーストラリアでの日々は、どんなものでしたか?

入学した時点で私は20歳を過ぎていて、周りは15~6歳の若い子たちばかりでしたし、途中編入ということで同じカリキュラムを受けてもいなかったので、最初は葛藤がありましたね。言葉も分からないし、毎日朝9時半から5時までずーっと踊ってばかりで、ちょっと気が狂いそうでした(笑)。でも、時々オーストラリア・バレエ団の公演に出させていただけたりすると、舞台に立つことはやっぱり楽しくて。舞台のある生活にしなきゃいけないと思って、1年でやめて、東京に行くことにしたんです。

――東京バレエ団に入ったのはやはり、『ボレロ』を上演しているからですか?

それが実は、知らなかったんですよ。名古屋では公演を観る機会がなかったですし、雑誌で写真は見ても、文字を読むのは苦手なタイプでしたから(笑)。タイミングよく東京バレエ団のオーディションがあったので受けました。入ってから『ボレロ』のバレエ団だと分かった時にはびっくりしました! 入団3年目のヨーロッパツアーの演目に入っていたので、毎日毎日袖から観ていたのを覚えていますね。

入団後は早くにソリスト役をいただいたので、コール・ドのパートと合わせて、一つの公演で11か所も踊る場面があったことがあります。朦朧としてしまって芸術監督の先生に怒られて、「11か所もあるんだから仕方ないじゃん…」と思ったりもしたんですが(笑)、プロである以上それではいけないんですよね。伝統あるバレエ団で、一流の方とご一緒できる環境だったおかげで、プロ意識が自然と深まっていったように思います。

小出領子さん
バレエスクールのクラスメイトとピクニック

――ソリストの頃から、いつか主役をやってやるぞ!という気持ちはありましたか?

いや、全くそれはもう、なかったです!私はバレエに関して欲というものがないみたいで、舞台に立てるだけで満足だったんですが、タイミングやいろいろなことが重なって、『くるみ割り人形』のクララ役をいただいて。それが1回きりの主役で終わらなかったのは、相手役が主人(後藤晴雄さん)だったおかげだと思います。彼は早くから主役を踊っていたので、作品をつくるのがどういうことか、パ・ド・ドゥとはどんなものか、細かく教えてもらいました。

私の性格上、厳しくしてもらわないとダメなので、感謝しないといけないですね(笑)。彼とはその後、結婚してからもいろいろな作品で一緒に踊っています。「公私ともにパートナー」というのは、お互い気を遣わなければならない部分ももちろんありますが、舞台の上で一番安心できるのはやっぱり彼。芸術的な理想の高い人なので、怒られることもありますが(笑)、やっぱり尊敬しています。

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