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Ballet du Ciel主宰 坂本香菜子さん
シュツットガルト・バレエ団での経験
日本の高校へ進学するも進路にバレエを選び、単身ハンブルク・バレエ学校に渡り、シュツットガルトバレエ団に入団、ダンサーとしてのキャリアをスタートした坂本香菜子さん。ドイツ、カナダ、ポルトガルの海を渡り3つのカンパニーに在籍されたご経験から、海外と日本のバレエ環境の違い、未来のダンサー達へのメッセージをお聞きしました。
──シュツットガルト・バレエ団では、ジョン・クランコ(振付家。1961年にシュツットガルト・バレエ団を創設、1971年まで芸術監督を務めた)の作品に多く触れられましたね。
シュツットガルトバレエ団での経験は、特に素晴らしいものでした。クランコの作品は、ダイレクトに胸を打つ素晴らしいものです。ハンブルクのディレクターであるジョン・ノイマイヤーもそうですが、イリ・キリアン、ウィリアム・フォーサイス、ウヴェ・ショルツ……と、シュツットガルト・バレエ団の出身で、クランコの影響を受けた振付家がたくさんいます。ベースは皆ここにあるんだ、と思いましたね。
シュツットガルトには、誰にでもチャンスを与える、という雰囲気があります。毎年、小さな劇場で若い振付家のための公演が行われていて、皆、そこで初めて作品を発表します。同世代の仲間にも、そうやってチャンスを掴み、ヨーロッパのカンパニーで芸術監督を務めている人もいます。
シュツットガルト・バレエ団のバレエマスター、Rolando D’Alesio作『Come neve al sole』の舞台にて
──プロのダンサーとしての生活は、順調でしたか。
すべてが初めてのことでしたし、若かったので、もっとできる、もっと頑張れる、とバレエばかりの日々でした。ただ、常にキャスティングに入るか入らないか、という競争のなかで、気晴らしの仕方もよくわからず、精神的に追い込まれた時期もありました。そんな中、先輩の規予香さんに弱音を吐くと「それくらいしかバレエを愛していないのね」と問われて、ああ、そんなに簡単にはやめられない、と思ったことも。
シュツットガルトには6年間いましたが、父が亡くなったこともあって、2002年の日本ツアーへの参加を最後に退団しました。当初はもうバレエはやめるつもりでいましたが、やはり踊りたい、と翌月には北米でオーディションをまわっていました(笑)。
- 1:単身、ハンブルク・バレエ学校へ
- 2:シュツットガルト・バレエ団での経験
- 3:3つのバレエ団で感じた、空気感の違い
- 4:バレエは家族のサポートがあってこそ出来るもの