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Ballet du Ciel主宰 坂本香菜子さん
単身、ハンブルク・バレエ学校へ

日本の高校へ進学するも進路にバレエを選び、単身ハンブルク・バレエ学校に渡り、シュツットガルトバレエ団に入団、ダンサーとしてのキャリアをスタートした坂本香菜子さん。ドイツ、カナダ、ポルトガルの海を渡り3つのカンパニーに在籍されたご経験から、海外と日本のバレエ環境の違い、未来のダンサー達へのメッセージをお聞きしました。
シュツットガルトバレエ団をはじめ、海外でダンサーとして活躍し続けた坂本香菜子さん
──現在は田町でバレエスタジオ「Ballet du Ciel」を主宰されているそうですね。
私は十代で海外に出て踊ってきました。帰国後はいくつかのお教室でバレエ教師をしていたのですが、しっかりと自分の場所を作り、ダンサーを目指す子どもたちに、自分の経験を伝え、少しでもアドバイスできたらと思ったのがきかっけです。少しでもダイレクトな情報を提供し、子どもたちの可能性を試させてあげたいですね。
──坂本さんご自身は、早くから海外のバレエ団を目指していたのですか。
そうですね。中学に上がるとき、受験かバレエかと選択を迫られ、勉強よりバレエのほうが得意でしたし、何より踊ることが好きだったので、自然とバレエを選びました。また、高校に進学した時点で身長がすでに170センチと大柄だったので、日本で踊るのは難しい、とも言われていました。選択の余地はあまりなかったんです。
──留学先はハンブルク・バレエ学校でしたね。
「いい学校らしいよ」という情報だけでしたが、寮もあって安心ということで、決めました。スカラシップで入ってきた子は別格ですが、私は一般の枠。特別に期待をされていたわけでもなかったので、のびのび自由に、地道にやっていました。皆、いろんな国から来ているので、条件は皆同じ、最初の年は進級試験に通るように頑張って、2年目はすぐに就職活動です。皆、覚悟のある子ばかりでしたから、私も自然とそういう気持ちになりました。高校を中退しているので、最終学歴は中卒……。このまま日本には帰れない、どこかで仕事をみつけないと、とは思っていました。
──入団先は比較的スムーズに決まったようですが。
日本への恋しさの中で、それでも独りでもやっていこうと思えるバレエ団に決まらなかったら、帰国しようと思っていました。規模が小さいバレエ団なら、踊るチャンスもたくさんあるとは思いましたが、大人数のなかで揉まれてやっていく方が自分に合っているのでは、と考えていたんです。そんななかで、4つほど受けて、シュツットガルト・バレエ団にまずは研修生として採用されたんです。
- 1:単身、ハンブルク・バレエ学校へ
- 2:シュツットガルト・バレエ団での経験
- 3:3つのバレエ団で感じた、空気感の違い
- 4:バレエは家族のサポートがあってこそ出来るもの