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作家・脚本家 梅田みかさん
バレエ小説の分野に踏み出した理由とは

小説家、テレビドラマの脚本家、エッセイストとして華々しく活躍中の梅田みかさん。昨年刊行されたバレエ小説『海と真珠』でバレエファンの間でも一躍有名になりましたが、それまでは主に恋愛に関する小説やエッセイを著し、「恋のカリスマ」とも称されてきました。そんな梅田さんが、バレエ小説の分野に踏み出した理由とは──?
ーー『海と真珠』は、バレエに精通していないと書けない本格的なバレエ小説という印象ですが、ご自身も習っていらしたのですか?
8歳から17歳まで橘バレエ学校に通って、バレリーナを目指してレッスンをしていました。あの頃は本当に、バレエが第一、バレエがすべてでしたね。
ただ、私は脚がバレエ向きではなくて、股関節や膝を痛めることが多くて…。高校生のときに限界を感じて、大学に進学して普通に就職する道を選んだんです。
──錚々たるメンバーと一緒に踊っていらしたのですね! そこから作家の道に進まれたのは?
父が作家だったので、元々そういう血が私の中にもあったのだと思います。才能ある人というのは父のような人を言うと思っていたので、自分も、とは全く考えていなかったんですが、大学の終わりくらいから自然と小説を書くようになって。卒業後は出版社に就職して書籍の編集の仕事をしていたんですが、2年くらいでやめて、ラジオやテレビの構成作家をするようになりました。
そこからはもう、出会いですね。人との出会いにはすごく恵まれていると思います。それと、時代も良かったのかもしれません。今は駆け出しの作家さんが食べていくのはすごく大変だと思いますが、当時はバブルで、無名でも仕事に困ることはなかったんです。最初のうちはどんな仕事でも受けて、それから「さあどうしよう」みたいな感じでした(笑)。
一その頃から、いつかはバレエを題材にした作品が書きたい、という思いがあったのでしょうか。
いえ、それは全くありませんでした。10年近く真剣に取り組んでいたことをやめたことは、私にとってはやっぱり「挫折」。だからむしろ、バレエはあえて避けていたんです。喫茶店でバレエの音楽が流れてくるだけでもちょっと嫌だったり…。1998年に娘が生まれたんですが、娘に習わせようとは思いもしなかったし、自分が踊っていたことを話したこともありませんでした。
でもそんな娘が、小2のときに自分から「バレエを習いたい」と言い出して。最初のうちは聞こえないフリをしていたんですが(笑)、あまりにも何度も言うので連れて行ったらすごく楽しそうに踊っていて、本当に好きなんだな、と。初めての発表会のあと、自分が踊っていたころの写真やビデオを初めて娘に見せたら、すごく驚いていましたね(笑)。
一そのお嬢さんも、今やコンクールで入賞するほど本格的にバレエに取り組んでいらっしゃいますね。
コンクールに出たいと言い出したときも、やっぱり聞こえないフリをしたんですよ(笑)。でも、私が連続ドラマ脚本の執筆で忙しくてほとんどレッスンを見に行けなかった時期に、娘は発表会で踊る『海と真珠のグラン・パ・ド・トロワ』をすごくがんばって練習していたみたいで。本番当日のリハーサルで久しぶりに娘の踊りを見たら、すごく上達していたんです。それで、ここまでできるんだったら、と思って許可を出しました。
「許可を出す」というのも大げさですけれど、娘はバレエに関することだけは、私のアドバイスを割と素直に聞くんですよ。ほかのことは、そうでもないことも多いのに(笑)。
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梅田みかさんプロフィール
経歴
作家・脚本家
作家である故・梅田晴夫の長女として誕生。慶應義塾大学文学部哲学科を卒業後、書籍の編集、ラジオ番組の構成作家を経て、本格的な執筆活動に入る。主な著書に、小説『別れの十二か月』『年下恋愛』『書店員の恋』、エッセイ『愛人の掟』『思いどおりの恋をする80の方法』、脚本を手掛けたドラマに『お水の花道』『美丘―君といた日々―』『ゴーストママ捜査線』など。昨年、バレエに打ち込む二人の少女の青春を描いた長編小説『海と真珠』と、その続編となる短編『眠れる森の美女』(『風色デイズ』所収)を発表した。