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NBAバレエ団公演「死と乙女」を見て

NBAバレエ団公演「死と乙女」を見て

NBAバレエ団による公演「死と乙女」を見に行った。この公演の第1部は、世界的にも知られる和太鼓奏者林英哲と英哲風雲の会によるパフォーマンス。第2部は、このバレエ団のレパートリーであり、アイリッシュダンスをベースに振り付けられた「ケルツ」。第3部は、この公演のタイトルにもなっている新作である。

新作「死と乙女」は、バレエシャンブルウエスト、新国立劇場バレエ団、ロイヤルニュージーランドバレエ団などで踊ったのち、振付家として活躍する舩木城が振り付け、あの「ゴーストライター」事件で話題になった作曲家新垣隆が曲を書き、新垣自身と林英哲が演奏に加わるという異色の組み合わせによるものである。「死と乙女」は、画家エゴン・シーレの代表作から発想されたとのことだが、音楽という点では、シューベルトの同名の歌曲のことも思い浮かぶものだし、バレエ関連では、コクトー/ニジンスキーの「若者と死」(これも、シューベルトの歌曲のタイトルでもある)なども連想させる。タイトルは,作品を拘束するものではないが、こうした連想を生むタイトルをあえて選ぶというのは、かなり挑戦的な意図があるとも感じられる。

まず第一にこの公演で圧倒されたのは、林英哲らによる太鼓パフォーマンスである。バレエの公演に行って、太鼓が出てきたという意外性によって強い印象を受けたことはあるだろう、しかし、この部分によって、この公演が「バレエを超えるもの」になったように思う。目の前で繰り広げられたのは、いわゆる太鼓の「演奏」ではなく、鍛え上げられた肉体の「動き」とそれによって紡ぎ出される「音」と「リズム」が一体となったパフォーマンスであり、それは、ダンスがパフォーマンスであるのとまったく同次元で、パフォーマンスであったと言ってよい(その点では、太鼓パフォーマンスの冒頭に解説的に置かれたダンスは不要に感じた)。あえていえば、太鼓においては、肉体が音楽を生み出し、バレエは、音楽を肉体化するという違いはある。しかしそれは、肉体と音楽との究極的な一致を目指すアプローチの違いに過ぎないのではないか。

第2部は、今度はダンスが主役で、これに太鼓が伴奏的に加わるものであった(もともとの演出には太鼓はないと想像される)。ケルト的なリズムと太鼓には親和性があるのは確かだ。第1部から太鼓奏者の肉体に圧倒されてしまったので、第2部でもどうしても男性ダンサーの肉体に目が向いてしまう。少なくとも主役の二人は、負けない肉体を表現していたと思う。

第1部は太鼓が主役、第2部はダンスが主役とくれば、いやでも第3部では正面からのぶつかり合いが見られると期待が高まる。正面の高い位置の左に林英哲の太鼓、右に新垣隆のピアノが置かれ、ダンスがそのもとで踊られるという舞台作りも、どれが主役で、どれが脇役であるわけでもないという作り手の意図を感じさせた。

ダンスについて言えば、これまでも舩木作品をいくつか見てきている私には、この振付家の独特のボキャブラリーのいくつかはなじみあるものであったが、この作品では、構成的なストーリー性をより強く感じた。また、リズムや動線によって織りなされるシーンごとの情趣の異なりも印象的だった。光と色の使い方もいつもながらみごとだった。1回だけではなく、何度でも見てみたいと思う作品だったし、またさらに別の新たな作品も見せてほしいと思った。

正直に言うと、第1部で圧倒的な太鼓の迫力を見せつけられていたので、この第3部で、ダンスがこれに拮抗した表現ができるかどうか心配もしていたのだが、それは杞憂であった。ただ、あえて言えば、まだ、奏者と踊り手それぞれが互いに「息を合わせよう」としているよう感じるところもあったので、次はその先を期待したい。

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